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今日は朝4時半おき。
今6時を過ぎたところだがまた寝るだろう。
4月3日日曜日からのお話。
父が腎臓の機能が低下して透析をしないといけないようになった。
そのために4日から教育入院なるものを14日までしなければならなくなった。
その間母は一人で家にいることになる。
しかし母は認知症を患っている。
心配なので3日に伊予三島に来て14日まで伊予三島にいることになった。
父は、母とけんかするなよと言っていたのだが、いきなり喧嘩勃発。
その喧嘩の内容というのが母の認知症の治療について。
お母さんは依然、認知症の程度が進んでいくのを食い止める薬、アリセプトを飲んだことがある。
そのとき、とてもしんどかったらしい。
この記憶がほかの新しい薬があるのに試さない原因になっている。
母に病院に行こうと勧めるが私は認知症ではないと言い張る。
ぼけてやないでと言い張る。
しかしいろいろ話をしていると、さっき話した内容をもう忘れている。
それを指摘して、それを忘れているのはおかしいやろと畳み掛けて、納得させて治療を受けるように勧めるのだが、いや私はぼけてなんかないという。
それを繰り返すこと5回ぐらい。
話の内容を忘れてるやろと指摘して、やっと病院に行く話になった。
忘れないように、保険証と依然行ったことのある病院の診察券を出させて、そしたら、明日僕と一緒に病院に行くでと言ったところやっと納得した。
そしてほかの話題になって、ところでお母さん明日病院に行くのは忘れてないやろなと、話を振ると、また忘れている。
私はおかしくないと言い張る。
ここから喧嘩。
僕はもう高松にかえると啖呵を切って、実際に高松に帰ってきてしまった。
もう母のことは心配しないとツレと語り合っていたのだが、薄情な自分に気づき、母のことは心配しないことにしたのだが、僕の保身のために4日の晩、やっぱり伊予三島にかえるという結論になった。
5日の朝伊予三島に帰った。
そして今日8日朝、今のところ大げんかすることもなく、何とかなっている。
5日にお父さんの見舞いに行って、それからそのまま近所の病院に母を連れて行った。
簡単な検査を受けた。
30点満点のところ8点しか取れない。
この客観的事実に母は抗う。
私の年になったらみんなこんなんですよ、と。
これを何度も繰り返し言って抗う。
先生は今の季節はいつかな?と問うてきた。
秋という。
桜が満開のこの時期に。
花が大好きなこの母がである。
そして先生からあなたはおかしいですよとやんわりと言われた。
さすがに納得したようである。
そしてある病院に紹介状を書いていただいて、そこに行って、診察の予約を取るところまで行き着いた。
4月20日14時に来てくださいということだった。
父と行くことになるだろう。
そして6日水曜日のこと。
眼鏡を探している。
ないという。
とられたという。
仲のいい友達に。
悔しいという。
たぶん妄想がお母さんにとって現実になっているのだろう。
それで、老眼鏡なんか100均に売ってるんだから買いに行こうと買いに行った。
そして帰ってきてしばらくすると、このメガネなんな、こんなん知らんで、と怒り出す。
もうこのこの友達とは付き合わんとまで言い出す。
これを繰り返し繰り返し言うのである。
そんな仲のいい友達をそんな風に言わんの、どうせ100円で買ったもんなんだからやったと思えばええやな。
僕も同じことを繰り返して言う羽目になる。
そして昨日7日木曜日のこと。
眼鏡のことを繰り返し言う。
そして一方でお父さんはどこにいったんかいなという。
僕はきつい口調になって説得を始めた。
眼鏡を取られたという事実を繰り返し言う割に、大事な大事なお父さんのことを忘れている。
なぜ入院したかも言えない。
いつまで教育入院するのかも言えない。
なぜ教育入院を受けなければいけないのかも言えない。
眼鏡のことで怒るのもいいが、父の心配をしていない母のことが腹立ってきた。
今メガネのことで怒ることよりも、お父さんが腎臓の機能が低下して透析を受けなければいけないということをこんこんと言った。
怒るのと心配するのとどっちが大事なんや、ときつい口調で言った。
母は泣き出す。
そんなきつく言わんでええやんと。
息子にそんな風に言われたくないと。
あんたはきついわい。
もう高松に帰りなとまで言う。
帰るわけにはいかんやろと言うが、きついという。
もっとお父さんのことを心配しまえ、と繰り返して言うと、あんなええ人はおらん、お父さんはええ人や、あんたとは違わいという。
確かにそうかもしれないが、僕もこうして伊予三島に来ているのだ。
そんな言われ方はされたくない。
お父さんは透析さえ始めたらまだ長生きするんや、そんなお父さんをサポートするためにもお母さんがしなければいかんことがあるやろ。
自分の認知症を認識して治療を積極的に受けたらお父さんだって安心するで、と諭した。
泣くばかり。
私は弱い人間なんや。
だらしのないお母さんやのうと言う。
だいぶ納得してくれたようである。
そして今母が起きてきて。
お父さんはどこかいなという。
まあ寝ぼけているのだろう。
もう昨日言ったこと、話し合ったことは忘れているようである。
お父さんはどこにいっとんな?
病院。
いつから病院にいっとんかいな?
4日から。
いつまで入院しとんかいな?
14日。
今日は何日かいな?
8日。
なんで入院しとんかいな?
教育入院。
それ以上は聞いてこない。
しかし朝起きてからこの問答を3回繰り返した。
疲れることもないが、あきれる。
お父さんのことは心配でないのだろうか?
心配だったらこんな問答は繰り返さなくていいはずなのだが。
今は母に腹を立てているのを表に出さないようにしているが、また今晩あたり喧嘩することになるかな?
今6時を過ぎたところだがまた寝るだろう。
4月3日日曜日からのお話。
父が腎臓の機能が低下して透析をしないといけないようになった。
そのために4日から教育入院なるものを14日までしなければならなくなった。
その間母は一人で家にいることになる。
しかし母は認知症を患っている。
心配なので3日に伊予三島に来て14日まで伊予三島にいることになった。
父は、母とけんかするなよと言っていたのだが、いきなり喧嘩勃発。
その喧嘩の内容というのが母の認知症の治療について。
お母さんは依然、認知症の程度が進んでいくのを食い止める薬、アリセプトを飲んだことがある。
そのとき、とてもしんどかったらしい。
この記憶がほかの新しい薬があるのに試さない原因になっている。
母に病院に行こうと勧めるが私は認知症ではないと言い張る。
ぼけてやないでと言い張る。
しかしいろいろ話をしていると、さっき話した内容をもう忘れている。
それを指摘して、それを忘れているのはおかしいやろと畳み掛けて、納得させて治療を受けるように勧めるのだが、いや私はぼけてなんかないという。
それを繰り返すこと5回ぐらい。
話の内容を忘れてるやろと指摘して、やっと病院に行く話になった。
忘れないように、保険証と依然行ったことのある病院の診察券を出させて、そしたら、明日僕と一緒に病院に行くでと言ったところやっと納得した。
そしてほかの話題になって、ところでお母さん明日病院に行くのは忘れてないやろなと、話を振ると、また忘れている。
私はおかしくないと言い張る。
ここから喧嘩。
僕はもう高松にかえると啖呵を切って、実際に高松に帰ってきてしまった。
もう母のことは心配しないとツレと語り合っていたのだが、薄情な自分に気づき、母のことは心配しないことにしたのだが、僕の保身のために4日の晩、やっぱり伊予三島にかえるという結論になった。
5日の朝伊予三島に帰った。
そして今日8日朝、今のところ大げんかすることもなく、何とかなっている。
5日にお父さんの見舞いに行って、それからそのまま近所の病院に母を連れて行った。
簡単な検査を受けた。
30点満点のところ8点しか取れない。
この客観的事実に母は抗う。
私の年になったらみんなこんなんですよ、と。
これを何度も繰り返し言って抗う。
先生は今の季節はいつかな?と問うてきた。
秋という。
桜が満開のこの時期に。
花が大好きなこの母がである。
そして先生からあなたはおかしいですよとやんわりと言われた。
さすがに納得したようである。
そしてある病院に紹介状を書いていただいて、そこに行って、診察の予約を取るところまで行き着いた。
4月20日14時に来てくださいということだった。
父と行くことになるだろう。
そして6日水曜日のこと。
眼鏡を探している。
ないという。
とられたという。
仲のいい友達に。
悔しいという。
たぶん妄想がお母さんにとって現実になっているのだろう。
それで、老眼鏡なんか100均に売ってるんだから買いに行こうと買いに行った。
そして帰ってきてしばらくすると、このメガネなんな、こんなん知らんで、と怒り出す。
もうこのこの友達とは付き合わんとまで言い出す。
これを繰り返し繰り返し言うのである。
そんな仲のいい友達をそんな風に言わんの、どうせ100円で買ったもんなんだからやったと思えばええやな。
僕も同じことを繰り返して言う羽目になる。
そして昨日7日木曜日のこと。
眼鏡のことを繰り返し言う。
そして一方でお父さんはどこにいったんかいなという。
僕はきつい口調になって説得を始めた。
眼鏡を取られたという事実を繰り返し言う割に、大事な大事なお父さんのことを忘れている。
なぜ入院したかも言えない。
いつまで教育入院するのかも言えない。
なぜ教育入院を受けなければいけないのかも言えない。
眼鏡のことで怒るのもいいが、父の心配をしていない母のことが腹立ってきた。
今メガネのことで怒ることよりも、お父さんが腎臓の機能が低下して透析を受けなければいけないということをこんこんと言った。
怒るのと心配するのとどっちが大事なんや、ときつい口調で言った。
母は泣き出す。
そんなきつく言わんでええやんと。
息子にそんな風に言われたくないと。
あんたはきついわい。
もう高松に帰りなとまで言う。
帰るわけにはいかんやろと言うが、きついという。
もっとお父さんのことを心配しまえ、と繰り返して言うと、あんなええ人はおらん、お父さんはええ人や、あんたとは違わいという。
確かにそうかもしれないが、僕もこうして伊予三島に来ているのだ。
そんな言われ方はされたくない。
お父さんは透析さえ始めたらまだ長生きするんや、そんなお父さんをサポートするためにもお母さんがしなければいかんことがあるやろ。
自分の認知症を認識して治療を積極的に受けたらお父さんだって安心するで、と諭した。
泣くばかり。
私は弱い人間なんや。
だらしのないお母さんやのうと言う。
だいぶ納得してくれたようである。
そして今母が起きてきて。
お父さんはどこかいなという。
まあ寝ぼけているのだろう。
もう昨日言ったこと、話し合ったことは忘れているようである。
お父さんはどこにいっとんな?
病院。
いつから病院にいっとんかいな?
4日から。
いつまで入院しとんかいな?
14日。
今日は何日かいな?
8日。
なんで入院しとんかいな?
教育入院。
それ以上は聞いてこない。
しかし朝起きてからこの問答を3回繰り返した。
疲れることもないが、あきれる。
お父さんのことは心配でないのだろうか?
心配だったらこんな問答は繰り返さなくていいはずなのだが。
今は母に腹を立てているのを表に出さないようにしているが、また今晩あたり喧嘩することになるかな?
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