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今日はAM10時半起き。
今日は家族会でピアノ演奏をする。
失敗。
ノクターンで一ヶ所止まってしまった。
演奏前に入念に鍵盤のごみを払ったつもりだった。
「ショパンのノクターンを弾きます」
と、演奏を始めて間もなく、鍵盤上にごみを発見。
とても気になる。
ごみに神経が集中して演奏に集中できなくなった。
そして、ついに詰まってしまった。
そして弾きなおそうにも、なかなか弾き治せない。
5秒ぐらいの間があったと思う。
何とか立ち直って最後まで弾いた。
情けないと思っている間は無い。
あと2曲弾かなければいけないのだ。
「エルガーの愛の挨拶です」
これも一ヶ所危うかった。
何とかつまらずに次の音につなげることができたのだが、頭の中で余計なことを考えている。
「リストの愛の夢です」
難しいところに差し掛かるところで、またまた余計なことを考えている。
「今日のブログでなんと書こうか」
「こんなんで12月17日の三木文化交流プラザで演奏ができるのだろうか」
「なんでノクターン詰まったんだろう」
「ちゃんとごみがないのを確認したはずなのになんであんな黒い糸くずがあるんだ」
「ちょっと舐めてかかっていたな」
「適度な緊張が必要だった。あがらないのでどうにでもなるだろうと思っていたが誤算だった」
こんなことを考えながら演奏を続けていた。
とにかく演奏に集中しなければいけない!
そう思うとカーッと血が上ってきた。
頭がくらくらする。
足もがくがくしだした。
動悸が早くなってくる。
視野の解像度が低くなっていく。
それでも愛の夢を弾き切った。
いま演奏が終わって直後にこのブログを書いているのだが、まだドキドキしている。
あ~恥ずかしい。
汗顔の至りとはこのこと。
結局致命的な間違いは最初のノクターン。
ノクターンは今まで何回か人前で弾いたが間違ったことがない。
その自信のある曲に落とし穴があった。
結局はあの糸くず。
あの糸くずさえなければ失敗することは無かっただろう。
あの糸くずさえなかったら演奏に集中できていた。
もう12月17日の演奏が嫌になってきた。
あまりにも精神保健福祉大会での演奏が、概ね可、だったがために舐めてかかっていた。
12月17日から逃れることはできないので、これからまた練習に励まないといけない。
あと18日。
この18日間を苦悩に満ちた日々で埋め尽くさなければいけないと思うと、気が重くなってくる。
ああ、まだ動悸がおさまらない。
この屈辱。
拍手を受けることができたが、演奏への拍手ではなく、同情に満ちた拍手に聞こえた。
もう絶対演奏の依頼を受けることはしないようにしなければいけない。
精神の退行である。
情けない気持ちを今からツレに打ち明けないと、この気持ちがおさまらない。
ツレに聞いてもらっても完全に気持ちが晴れることを期待できない。
はがゆい、恥ずかしい、逃げたい、時間を巻き戻したい。
でもよくよく考えてみたら、1か所詰まっただけではないか。
確かに1か所でも詰まるということは大失敗には違いないが、結局そこだけじゃないか。
あの失敗があとを引きずって、さらに失敗を重ねることも考えられたのに、それがなかっただけでもいいじゃないか。
悔いは残るが、そう思い込むことにしよう。
とにかく人前での演奏の怖さを思い知った。
駄句、
◆ 糸くずに惑わされ悔い残るとは
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