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月初めの計算をしなければいけないのに起きられなかった。
起きるたんびに憂鬱な気分になるので、夢の世界に戻ってばかりいた。
もやもやしながら起床して、デイケアに行くも、なんか計算面倒臭い。
でも取り掛かると必死にやってしまった。
でもまだ3分の1程度しか出来ていない。
12月はボーナスの時期なので余分な計算をしなければならない。
あとはSSPS本体の計算をして、SSPS通信を作らなければいけない。
計算の話をブログにつづってもなんかつまらん。
とにかくまだピアノの練習が出来ていない。
絶対しなければいけない。
今日は家に帰ったら練習練習!
家にピアノがあるのはなんとも贅沢だ。
本番まであまり日が無いのでちょっとは焦ってこなくてはならないのだがそうならないのが少々心配。
それではこんなところで失礼します。
駄句、
◆ 本番は必ず迫るものなりし
二日連続の定刻の目覚め。
しかし明日は早く起きないといけない。
月初めの計算があるので。
昨日5,6年ぶりに頭が痛くなった。
しかも、ガンガン。
昔は寝すぎたら頭が痛くなる時があったのだが、最近は寝すぎても頭が痛くならない。
それを良いことに惰眠をむさぼっているわけだが、昨日の頭の痛いのは寝すぎのせいなのだろうか、それとも取り返しのつかない病にかかっているとか・・・。
この年になるとちょっとどこか痛かったりすると、すぐに重篤な病気ではないんだろうかと心配してしまう。
今までのところはすべて杞憂に終わっているわけだが、今回はどうだろう?
昔は、自分の命なんて人にくれてやれるものならやってやる、と言った気持で過ごしていたのだが、ここ2,3年は死ぬのはもったいないような気がしている。
なんでこうも変わったのか?
たぶん将来の事を不安に思わなくなったからであろう。
昔は将来の事を考えてはそのたんびに不安になって、死んだ方がましだななんて思っていたものだが、確かに今でも将来の事を考えると少々不安になる。
でも深刻に考えないようになった。
たぶん年のせいだろう。
とにかく命がもったいないわけだから、ちょっと頭が痛くなっても、久しぶりの事だから心配になってしまう。
将来の事が不安に思わなくなったこともあるが、今は生きていることを味わっている、というのも命をおしく思っている次第だ。
生きているのを味わうなんて昔の僕には考えられなかったことだ。
命を燃焼して何かを成し遂げようなんてことは考えていないところが、まだまだ死生観の未熟さがにじみ出ているのだが、たとえば、今晩何食べようかと昨日の晩から考える事なんかとても楽しくなってしまう。
まったく卑しい限りなのだが、食べる事=生きる事、となっている。
ツレの存在も大きい(すんまそん)。
とにかくこれからの半生味わい尽くしてやると思っている。
些細なことで笑うことも楽しいし笑っている自分を確認すると何か幸せだ。
たぶん僕の死に際はろくなことが無いだろう・・・。
駄句、
◆ 死に際になにを思うか小春なり
久しぶりの定刻の目覚めです。
一晩寝たら、昨日の失敗のことは気にならなくなっていました。
せいぜい失敗したといっても、観客の数は25人ぐらいだし。
あのあなぶき小ホールで成功したのだから、このぐらいの失敗してもいいんじゃない?
しかし17日の三木交流文化プラザはあなどれない。
どのくらいの観客に包まれるのかわからないが、結構大きいホールである。
心配している間があったら練習練習!
昨日も小学校の体育館で練習してきました。
なんかやっぱりやばいです。
精神保健福祉大会が終わってから、なんか気が抜けていきません。
指に緊張感がこもらないというか、力が入らないというか、妙な感じです。
このままでは17日失敗するのは目に見えています。
この17日が終わったら、ピアノから解放されます。
それを想像すると、嬉しいのやら悲しいのやら、なんか自分でも計りきれない気持ちになります。
もちろんピアノは弾き続けますが、人前で弾くために練習するのと、自分で酔いしれて弾くのとは大違いです。
格段に差があるのです。
まっ、そういう経験ができただけでいいんじゃない?
また人前で演奏したくなったらそうしたらよいし、そうならないんならそれでいいし。
ただ人前で弾きたくなっても、なかなか今回のようなオファーは来るものではありません。
しかしただ自分で酔いしれて弾くにしても、今回の経験を経ることで、練習の仕方がずいぶんと変わる事になるようです。
とにかく僕の人生ピアノが中心なのだから、ピアノと向き合って生涯を楽しみたいです。
ピアノが人生の中心だなんて、・・・ぷっ、笑っちゃいますね。
駄句、
◆ 人生の真中にありしピアノかな
今日はAM10時半起き。
今日は家族会でピアノ演奏をする。
失敗。
ノクターンで一ヶ所止まってしまった。
演奏前に入念に鍵盤のごみを払ったつもりだった。
「ショパンのノクターンを弾きます」
と、演奏を始めて間もなく、鍵盤上にごみを発見。
とても気になる。
ごみに神経が集中して演奏に集中できなくなった。
そして、ついに詰まってしまった。
そして弾きなおそうにも、なかなか弾き治せない。
5秒ぐらいの間があったと思う。
何とか立ち直って最後まで弾いた。
情けないと思っている間は無い。
あと2曲弾かなければいけないのだ。
「エルガーの愛の挨拶です」
これも一ヶ所危うかった。
何とかつまらずに次の音につなげることができたのだが、頭の中で余計なことを考えている。
「リストの愛の夢です」
難しいところに差し掛かるところで、またまた余計なことを考えている。
「今日のブログでなんと書こうか」
「こんなんで12月17日の三木文化交流プラザで演奏ができるのだろうか」
「なんでノクターン詰まったんだろう」
「ちゃんとごみがないのを確認したはずなのになんであんな黒い糸くずがあるんだ」
「ちょっと舐めてかかっていたな」
「適度な緊張が必要だった。あがらないのでどうにでもなるだろうと思っていたが誤算だった」
こんなことを考えながら演奏を続けていた。
とにかく演奏に集中しなければいけない!
そう思うとカーッと血が上ってきた。
頭がくらくらする。
足もがくがくしだした。
動悸が早くなってくる。
視野の解像度が低くなっていく。
それでも愛の夢を弾き切った。
いま演奏が終わって直後にこのブログを書いているのだが、まだドキドキしている。
あ~恥ずかしい。
汗顔の至りとはこのこと。
結局致命的な間違いは最初のノクターン。
ノクターンは今まで何回か人前で弾いたが間違ったことがない。
その自信のある曲に落とし穴があった。
結局はあの糸くず。
あの糸くずさえなければ失敗することは無かっただろう。
あの糸くずさえなかったら演奏に集中できていた。
もう12月17日の演奏が嫌になってきた。
あまりにも精神保健福祉大会での演奏が、概ね可、だったがために舐めてかかっていた。
12月17日から逃れることはできないので、これからまた練習に励まないといけない。
あと18日。
この18日間を苦悩に満ちた日々で埋め尽くさなければいけないと思うと、気が重くなってくる。
ああ、まだ動悸がおさまらない。
この屈辱。
拍手を受けることができたが、演奏への拍手ではなく、同情に満ちた拍手に聞こえた。
もう絶対演奏の依頼を受けることはしないようにしなければいけない。
精神の退行である。
情けない気持ちを今からツレに打ち明けないと、この気持ちがおさまらない。
ツレに聞いてもらっても完全に気持ちが晴れることを期待できない。
はがゆい、恥ずかしい、逃げたい、時間を巻き戻したい。
でもよくよく考えてみたら、1か所詰まっただけではないか。
確かに1か所でも詰まるということは大失敗には違いないが、結局そこだけじゃないか。
あの失敗があとを引きずって、さらに失敗を重ねることも考えられたのに、それがなかっただけでもいいじゃないか。
悔いは残るが、そう思い込むことにしよう。
とにかく人前での演奏の怖さを思い知った。
駄句、
◆ 糸くずに惑わされ悔い残るとは
今日は12時半起き。
最後の保育専門学校でのグランドピアノの練習。
いつものようにカギをもらいに行くと、教頭先生が「どうでしたか?」
「いけました」
「そうですかそれはよかった」
「今日が最後ですけど本当にお世話になりました」
「いえいえ」
「本番のグランドピアノのタッチがここのと似てて嬉しかったです」
「それはよかった。12月にもう一度あるんですよね」
こんなことまで覚えてくれてて恐縮だ。
「実はあと2回あるんです。家族会で弾くのと、三木文化交流プラザで」
「ははは、そうですか」
「本当にお世話になりました、有難うございます」
教頭先生との会話はいつも温まるものがある。
グランドピアノの練習を終えて、今日でここも最後だなと思うと、少々さびしいものがあった。
駄句、
◆ 教頭の心休まる暖かさ
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