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クラシックと寝ることが好き
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今日は13時半起き。
ちょっと目的がないと起きるのが遅くなる。
あんまりたっぷり時間があると困るのでこれでよいのです。
時間の否定は存在の否定。
だいぶ自分の存在を肯定的にとらえるようになってきたのですが、完全に肯定はできません。
でも完全に自分を肯定しているのって逆に怖いですよね。
突然何を言い出すんだ、ということなんですが、昨日お邪魔したブログの記事の中に「自分を肯定していない人間にピアノなんて弾けるわけがない(多分こんな内容)」ということが書かれていて、なるほどと思った次第なのです。
自分の存在を肯定的にとらえていないところもあれば人生について真剣に考えたこともない自分にとって、これはある意味衝撃的でした。
しかし逆に考えてみると、ピアノを演奏して人前で弾くという目標を持つことによって、自分を肯定する作業をしていることになるのではないか、と。
それならば僕にとって非常に良いリハビリをしているわけで、これはますます頑張らねばならないという気持ちになってくるわけです。
こういう風に気持ちが変わるということ自体、結構自分を肯定的にとらえられているんじゃないかと考えるわけです。
ピンとこないけど。
あともうひとつ印象的なことをそのブログには書いていて、「ピアノを人前で弾くには、私を見て!ってぐらいの意識が必要(多分こんなところ)」。
それはだいぶクリアしている部分があるのです。
人前で自分をさらしてしゃべるということは照れるんですが、こうやってほとんど毎日ブログをアップしているということは自己顕示欲が強い表れじゃないのかと思う次第なのです。
ホームページまで作っているし。
人との交流も求めているということです。
ただ、生の人間との交流となると何をしゃべってよいのやら、頓珍漢になってしまうようで、腰が引けている次第です。
デイケアという仮想社会の中ではやっていけるのですが、やはり一般社会という大海に出るには少々精神の脆弱性があるかと思うのですが、ピアノのため!と思って人との交流を恐れずにやっていこうとするも、なにぶん起きる時間が遅すぎて、それとだいぶ社会と乖離しているし、なかなかこういう機会はないようですね。
でも機会があれば、ピアノのため!と自分をさらけ出す練習をするのもよいですね。
へたくそなピアノだけど、僕の人生はピアノ!と思うことで開けてくるものもたくさんあるんじゃないかなぁ・・・。

駄句、
◆ へたくそなピアノ人生カタツムリ
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今日はAM12時半起き。
早い目覚めである。
昨日iPhoneでのだめカンタービレ25巻の発売日を調べてみた。
もうそろそろだろうと思っていたら、6月20日ごろ発売予定とのこと、とあった。
それで今日は宮脇書店に寄った。
そしたらどうもないようである。
店員さんに確認したら、8月までの発刊予定も調べてみたのですが25巻の発刊予定はないようです、とのこと。
もしかしたら第2子を授かったのでしょうか?
あとでもうちょっとネットで調べてみよう。
のだめカンタービレと言えば1巻から23巻まで味わいながら読んでいて、昨日やっと読み終えたところである。
のだめカンタービレを読まなければいけないと思うと、他の本が読めない状態になっていた。
そろそろ本でも読まないと馬鹿になってしまう。
しかしのだめも飽きた。
なにしろ7回も読み返しているのだから。
これで飽きなければのだめ中毒である。
しかし7回も読まないと飽きないあたりだいぶ重症だったように思う。
もう読むことはないだろう。
音楽と言えば最近熱くなっているピアノの練習。
ちょっぴりショックなことがあった。
先週1週間ずっとデイケアのピアノで練習していた。
そして週末の土曜日に家のピアノで弾いてみたところ、少々タッチの感覚が違うだけでもうダメになってしまう。
日曜日にはもう回復していたのだが、演奏会のときには家のピアノを持ち込みたいぐらいである。
とにかくちょっと鍵盤のレスポンスが変わっただけでえらく演奏に影響が出る。
ということなので人前で演奏する前日には、ホールのピアノで練習することは絶対条件なのです。
前日に練習するだけで果たして自分の指がなじむかどうかも分からないぐらいなのですから心配です。
その演奏会、あなぶき小ホールでの演奏会の件ですが、どうも僕だけが舞台に出るというわけではないらしく、カラオケやらなんやら他にも出演する人がいるらしく、それを含めて30分程度しか時間がないようなのです。
僕は30分ぐらいの演奏を想定していたわけですが、これだと2曲か3曲ぐらいしか披露できないようです。
一生懸命7曲練習している自分にとって見れば、少々不満があるが他にも出演者がいるということなら仕方がない。
ただ、東讃の当事者交流会のほうは7曲弾くことができると思われるので、練習は続けていこうと思う。
ちょっとポテンシャルが落ちました。

選挙結果は新聞で報じていた通りの結果になりましたね。
パウル君の予想も当たってスペイン優勝しましたね。
大相撲の客の入りも予想どおり、満員御礼はならず。
白鵬の力強い上手投げよかったです。
バルトのきめ倒し強烈です。
普通に見たかったです。
はぁ・・・。

駄句、
◆ ポテンシャルちょっと下がりて溜息す

今日は13時半起き。
今日はピアノを練習する時間がたっぷりあります。
昨日ツレが「よう飽きんとするなぁ~」、とつぶやくので確かに不思議だと思いました。
ツレが突然呟いてこの不思議感が突然湧き出たわけではなくこれは時々思っていました。
この疑問はクラシックの魅力に尽きると思います。
クラシックの曲で何回も練習するのは苦にならないですが、同じポップスの曲を何度もカラオケで歌うというのはできないんじゃないでしょうか。
ポリーニがつぶやいた言葉に、
ポピュラーミュージックに対して、「イマジネーションが貧弱だと思います。クラシックの方が聞いていて面白いのに、どうして若い人たちは好きでないのでしょうかね」と淡々とした口調で厳しい発言をしている。(ウィキペディアから)
同感です。
時々この曲いいなというようなポップスの曲も時々あるのですが、毎日聞くほどに深みがないように思います。
それがクラシックの曲となると、好きな曲だと毎晩聴いてたりするから不思議です。
これはどういうことに依拠することなのか?
作曲家の精神性の深さ、音楽理論の深さ、演奏テクニックの要求度、歴史のフィルター、などがいま思いつきましたが、もっといろいろ要因はあるように思います。
しかし長いクラシックの歴史の中で僕の好きな曲というのはかなり限られています。
僕が言うのもおこがましいですが、つまらんのもたくさんあります。
しかし好きな曲は極端に好きです。
僕が同じ曲を何度も弾くのはその曲の魅力の深さです。
しかし人それぞれ。
なんで繰り返し同じ曲を何度も練習しているんだといぶかしがる人もいることでしょう。
ピアノの音がとびっきり好きだというのもあります。
そして作曲家が生み出した、和声進行の妙。
そう言っている割には上達の具合が芳しくないのですが・・・。
でもとにかく今の僕には目標が生まれているのですからそれに向かって精進するのみ。
人前で演奏するということのハードルを今ただただ味わっている次第なのですが、演奏が成功したなら手放しで喜ぶでしょうし、成功しなくても練習した過程で得たものが必ずあるのではないかと思っているのです。
ほんまにそんなもんあるんかいな?と問いたくなる時もありますが、まあ何もなくてもいいんです。
挑戦し続けます、とにかく!

駄句、
◆ 志挑戦するや青田風

今日は13時起き。
やばいです。
やばいことになってきました。
ピアノの演奏依頼が舞い込んできています。
2件も。
どうしよう、どうしよう。
うろたえてしまいます。
うろたえる半面、ハレしたい気持ちもあるのです。
1件はあなぶき小ホールで精神保健福祉大会があるそうで、そこでの演奏依頼が来ています。
11月22日(月)です。
あと4ヶ月半しかありません。
たっぷりあるじゃね~か、というご意見はあたりません。
半年ぐらいほしいところです。
もう1件が、こちらの方は詳細はまだ決まってないらしく12月中旬に東讃で当事者の交流会があるらしく、そこでの演奏を今日依頼されました。
相当やばいです。
もうてんぱっています。
精神保健福祉大会の方は昨日ぐらいから話が煮詰まり始めて、昨日の晩はそのことばかりが頭の中をめぐり、練習方法はどうしたらいいだろうかとか、もっと完全に弾けるようになっておかなくてはいけないとか、先生について練習した方がよいのだろうか、などと、色々考えてしまうわけです。
7曲弾くと言いましたが、その曲目は、
◆ ノクターン2番 ショパン
◆ 愛の挨拶 エルガー
◆ 愛の夢第3番 リスト
◆ 亡き王女のためのパヴァーヌ ラヴェル
◆ モンタギュー家とキャピュレット家 プロコフィエフ
◆ 別れの曲 ショパン
◆ トロイメライ シューマン
となっているわけなのですが、いくつもの難所があるのです。
それをここで一つ一つ説明してもいいのですが、これを他の人に説明したところでどうにもなるわけではありませんので省きます。
とにかく最低間違わないようにならなければ問題になりません。
その方法なのですが、一応自分の頭の中でこうしたらいいだろうというのがあるのですが、果たしてそれでいいのかどうか自信が持てず、先生についた方がよいのだろうかと考えてしまう次第なのです。
しかし先生につくにはただというわけにはもちろんいきません。
最低1カ月1万円は払わないといけない。
いまからレッスンしてもらったとして、5か月で5万円。
吝嗇の僕にとってはこの5万円はきついです。
そこでパッと頭にひらめいたのが、家族麻雀でしこたまためたお金がありまして、それが5万円以上は十分にあるのです。
そのお金は、家族麻雀のメンバーでお食事をしに行くときに使おうと合意していたお金なのですが、昨日ツレと話していて、レッスンに使ったらいいんじゃない、という合意を得られたので、どうしようかと迷っているところなのです。
しかしなんで人前で演奏するのにこれほど入念な準備やら練習やらをしなければならないかということなのですが、これはとてもわけありなのです。
ご存知の方も多いと思いますがリレーコンサートというのがあります。
リレーコンサートというのは素人がホールを使っていいピアノで演奏できるもので、要するに素人がどんどん次から次へと演奏するのをリレーコンサートと称するのです。
そのリレーコンサートなるものに3度挑戦したことがあります。
1度目は得意なノクターン2番を演奏して無難な演奏をしたのですが、2回目と3回目に演奏したのが愛の挨拶なのですが、これがガタガタだったのです。
恥ずかしいことにその2回とも最後まで完奏することができませんでした。
とても恥ずかしい思いをしてもう2度と人前では弾くまいと自分に誓ったのです。
ところが時が流れるというのは不思議なものです。
あの恥ずかしい思いをしながらもハレしたいという気持ちが芽生えてくるのです。
これは万人にある傾向なのかそれとも僕固有の傾向なのかそれは知りません。
オプチュニストっぽいところがあるなと分析される方もおられるかもしれませんが、ペシミスト的なところもあるのです。
楽天と悲観の間を行ったり来たり。
という次第で失敗した経験が僕を慎重にさせているわけでして、いまからもう緊張しだしているという次第なのです。
ここで思いついたのですが、結果はどうあれ過程に価値があるのだということを本田選手が言っていましたね。
都合のよい言葉を思いつくものです。
ここは腹をくくって挑戦しようと思います。
失敗したらその日悔んだらいい。
そしてもっと練習して失敗しないような演奏力を身につける。
よし、この方向でいきましょう。
ハレでどちくれるのもありです。
これから練習に励みます。

駄句、
◆ 励むことハレ舞台へと続くなり

今日はAM10時起き。
ぼくのピアノ演奏を聴いていくれる研修生たちが来るのである。
今日は4曲披露したのだが、愛のあいさつでいつも間違わないようなところで間違えた。
しかしそれ以外のところは結構落ち着いて弾くことができた。
この聴いてもらう練習というのがだいぶ実を結んできている。
演奏の後に研修生が感想を言ってくれるのだが、研修で疲れていたので癒されたというのがあった。
実際に癒されたどうかは分からないが研修は大変だろう。
こんな忙しいときに僕の演奏を聴いてもらって恐縮です。
音楽と言えば昨日ヤマハに行った。
グレングールドのゴールドベルク変奏曲を買い求めるために。
グールドのゴールドベルクは前期のものと後期のものがあるが、僕はどちらとも持っている。
それならなんで買う必要があるのかということだが、それを説明しよう。
前期のものは売られているCDを買ったもので、後期のものはコピーしたものだ。
それで最初に聞いたのが後期のもので、あとから前期のものを聴いた。
巷では前期のものに素晴らしいという絶賛が送られているようなのだが僕は、後期の演奏の方が好きなのである。
先に後期のものを聴いて刷り込まれたという可能性もあるが、後期の方の演奏の方がゆったりとしていて聴いていて断然気持がよいのである。
で、後期の演奏をコピーしたCDなのだが変奏と変奏の間でぶつっと途切れる場合があるのである。
それで我慢していたのだが、僕はこの演奏をとても気に入っていてもうこれは我慢ならないというところまで来たのである。
そこでヤマハに足を運んだしだいであるのだが、なかった。
しょうがないのでお取り寄せ。
せっかくヤマハに来たのに手ぶらで帰るのも芸がないと思い、店内にあるクラシックCDに全部目を通して、ポリーニのショパンのバラードとスケルツォを収録したものを買い求めた。
ショパンのバラードとスケルツォを収録したCDは2枚持っているのだが、いまいち気に入っていないのであった。
ひとつはアシュケナージ。
もう一つはルビンシュタイン。
ルビンシュタインのものは問題にならないぐらいのダメ演奏。
アシュケナージはどこかしっくりこない。
そして今回買ったCDを早速聴いてみた。
バラードの一番から始まるのだが、最初のユニゾンがダンパーペダルを使っているのが少々気に食わなかった。
しかしあとはなかなか聴かせる演奏である。
3枚持っている中ではこれが一番いいということになるのだが、ポリーニの演奏も何かしっくりこないところがある。
ショパンのスケルツォとバラードは僕が頭の中で描く理想の演奏というのがあるのである。
不思議なことなのだがそうなのである。
しかし音楽の勉強をしているわけでもない僕に理想の演奏があるというのもおかしい話である。
まったくピアニストに対して失礼千万な話である。
でもしょうがない。
ヤマハを出て、今日の晩御飯はカレーうどんの予定だった。
亀城庵の。
だけど志度は遠い。
そこでひらめいたのが{^L^}さんのブログでチェックしていたTANTANというお店。
カレー屋さんである。
そこにはカレーつけ麺があるという情報である。
ヤマハから歩いてTANTANに行った。
注文したのはかしわのカツカレーと、カレーつけ麺とカレーカツライスバーガー。
まあほどほどにおいしいがまた来ようというほどの味ではない。
しかしカレーカツライスバーガーはなかなか面白い味だった。
まあ2度と食べることはないだろうが。
帰って先ほどお話ししたCDを聴いて7時のニュースを観た。
残念なニュースが流れた。
大相撲が中継されないという決定が下されたのである。
楽しみにしてたのに、なんと残念な。
批判の声が7割あったというのだが、わざわざNHKにもの申すという人は批判的な人に決まっている。
それより頑張っている力士もいるのだから堂々と中継してほしかった。
ダイジェストは放送するらしいのだが、ダイジェストではあの臨場感は伝わってこない。
気を取り直して20時から踊るさんま御殿をみた。
いつもはこの番組を観ることはないのだが、綾瀬はるかが出ているということでこれは観ないといけないでしょうという気分になった。
綾瀬はるかはかわいいがそれよりも面白かったのが名前は覚えていないのだがブレイクダンスを披露してくれた19歳の男の子がおもしろかった。
この子が同じ場にいる女の方が好きらしくてまともに顔も見られないぐらいに好きならしいのだが、そこでみんなの前でブレイクダンスをしてとてもかっこよかったのだが、女の人の反応は筋肉質の方はあまり好みではないという反応。
瞬殺である。
一瞬で終わったこの恋物語みんな笑っていたが見ている方が切なくなりました。
めげずにもっとアタックしてほしいものである。
この踊るさんま御殿で出演しているみんなが「ホタルノヒカリ」に出演する人らしいのだが、そのドラマを観るつもりにはあまりならなかったのだが、ツレが観たいという反応をなぜか起こした。
不思議なことがある。
曰く、イケメンが多い・・・。

駄句、
◆ イケメンが多いドラマを見る羽目に
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